ミンミン蝉の鳴く頃に

激動の昭和を生き抜いた平凡なおじいの日記

調度品 昭和34年

洗濯機 21100円

 

この頃の洗濯機の相場がわかりませんが今と比べると高いんでしょうか。

祖母が体が弱い人だったので買ってあげたかったのかもしれません。

でもつい2世代前までは洗濯板時代だったかと思うといかに日本の経済の

回復振りが早かったかが想像出来る様な気がします。

昭和49年4月の日記

1日 9時集合高辻から浜島まで 宝来荘で送別いや解散会110名

2日 朝熊山に登る 小学6年生以来41年振りか 1615高辻着

7日 Sさん入学祝の返礼

   知らぬ間に停留所の看板や架線が取り外されていた

12日 新瑞橋へ配転の挨拶

20日 教習所で終了式

29日 I結婚式

30日 妻歯科大へ受診

 

※三重の浜島にある旅館、宝来荘は今でも現役のようです。

 残酷焼きが売りのようです。

昭和49年3月の日記

1日 北頭の西で架線が太陽の中心を通っていた二度とない いや見ることはない

3日 時計を持って一本木へ行く

   12T30 パリでエアバス墜落 G君死亡

9日 5組の応援を終る

10日 小野田元少尉下山  鵜沼へS宅を見に行った

13日 記念のタイピン受け取り

17日 長男の事務所へポット 4600円

18日 北頭で降りる客が紙に包んだものをあげると言って降りて行った

    中味はクルミ一ヶ後少しですが頑張って下さいとあった嬉しかったね

29日 市電最後の休暇 裏に植えてある◯の木を掘り起こして明日に備える

30日 輸送電車に乗る勿論◯の木もいっしょ 

    係長といっしょに公用車(オンボロ1000cc)で公園に植え付けた

    12時00頃

31日 1520分閉所式 M所長をはじめ皆すすり泣き

    1419分サヨナラ電車を立番で7丁目に行くため桜山辺から運動場まで

    ハンドルを握らせてもらった

 

昭和49年2月の日記

2日 北口、Nさん来たる すし3600円

15日 西町へ行って記念写真9枚

16日 三谷山?がきホテルで二敬会サヨナラ会(15人13万円)

19日 5組のB班に応援に行くことになる

27日 小野田少尉山中で記者に写真をとらさる

 

※ 祖父も東南アジアへ出兵しており、また小野田少尉の生まれ大正11年と

  ほぼ同じ大正10年に生まれているので、彼の発見には感ずる所があったのでは

  ないか。残念ながら昭和49年は祖父も社会人バリバリの時代なので

  一行日記しか残っておらず、心境は窺い知れない。

昭和49年1月の日記

1日 初のりは1453号車

6日 土呂の法要に行き新築したのに驚く

8日 雨無し47日でストップ

11日 市電廃止を可決

14日 旧市民病院跡に建てる博物館の工事はじまる

20日 一本木法要Kさんも元気82才